絵を描きました(羊飼いの礼拝)



2025-12-18 20:58:52
(この記事はFediverse創作展示会 Advent Calendar 2025の23日めの記事です)
はじめまして、こんにちは、こんばんは、ヌヌです。
普段はひとりサーバで壁打ち気味に呟いたり絵を投稿したり、小説や俳句を投稿したりしています。
昨日のアドベントカレンダー記事は白川柚奈さんのおでかけに向いたぺんぎんぬいを作るでした。ペンギンチャンカワイイ!!我が家には破壊神(犬)がいるのでぬいぐるみは、、、うらやましいです。

さて本日の記事なんですが、事前に「絵を描きます」と宣言したので絵を描きました。
私は両親がクリスチャンで、私自身も生まれる前から教会に行ってたので無駄にクリスチャン歴は長いんですが、聖書をテーマにした絵って描いたこと無いな~と思ったので聖書に出てくるクリスマスのワンシーンを描きました。
ルカの福音書2章8節から14節の場面です。

(画材:ミューズケナフ紙・ガッシュ)

メインコンテンツはこれで終わりです。
明日の記事は、あーしまさんの絵になります。あーしまさんもアナログで描きたいとのことで、私はひそかに注目していました。
いよいよクリスマスイブですし、期待して待ちましょう!!

この後の文章はおまけです。

創作をテーマにしたアドベントカレンダー、ということなので、自分なりの「絵を描いてきたこと・描くこと」について考えてみました。
長いのと、なんというかウェットな文章になってしまいましたが気が向いた方はどうぞ。

【弧を描いてもどってきた「描くこと」】


以前観た「キル・ユア・ダーリン」という、若き日のアレン・ギンズバーグを主人公にした映画でこんな詩が出てきた。

何かを愛した時
それは永遠に君のものに
なるかもしれない
それは突き放しても
弧を描いて戻ってくる
君の元へ

君の一部となり
君を破滅させる

映画の登場人物たちが愛した「何か」は、詩や小説や、それを書く才能、あるいはそれを持っている相手そのもの、だったりするわけだが、私にとってそれは「絵を描くこと」だと思う。

描き始めたきっかけは覚えていない。
幼稚園の時には先生に「ヌヌちゃんは、お絵かきしてるか絵本の部屋(図書室)にいるかのどっちかだね」と言われていたらしい。
手持ちの古い写真(たぶん5歳くらい)でも、私はスケッチブックとクレヨンを手にしている。

小学生になると、自分と同じように「お絵かき」をしていた同級生は次第に、絵が上手い・得意だとみなされている子以外は描くことをしなくなった。

でも私は特に気にせず絵を描いていた。上手いと言われたことは無かったが、描くのが好きだったので。
先生には「形はヘタだけど味がある絵」と評された。

そんな風だったので、絵を仕事にしよう、とはあまり思わなかった。
描くのが好き・楽しいだけで別に上手くはないから。部活も美術部は気が進まず、吹奏楽部や文芸部に入ったし、高校卒業後に進学したのは映像制作やWebデザインなどの専門学校だった。

専門学校ではデッサンやキャラクターデザインの授業があり、どちらもとても楽しかったが評価は毎回B評価だった。
空間を把握するのが不得意なのでは、と先生には分析された。

社会人になって数年経ったころ、ネット伝いに勧誘されて絵の展示などを定期的にやっている芸術的な団体に参加することになった。
参加者のほとんどは美大の学生で、私は年齢が少し上だということもあってちょっと浮いていた。

団体の主催者は「オレはスパルタだから」と言い、私の絵を見るたびに全否定し、溜息をついた。
私はイライラしつつ、プロが言うのなら正しいのだろうと思って、自分なりに考えてあれこれやってみたものの毎回ダメだった。

文句を言われるだけならまぁ良いのだが、もっとうまくなりたいならセミナーやらイベントやらに参加しろ、参加したらそのうち特別なグループ展に参加させてやる、などと言われ、そのたびに万単位でお金が消える。
しかし主催の納得する絵は描けないのでグループ展には参加させてもらえない。

自分より若くて上手い他の人が、主催者やファンたちにベタ褒めされ、崇拝される横で貶される。
主催者を信奉する他の参加者に批判され、説教される。

画業とはそういうものなのかもしれないが辛かった。
自分と同じようにスカウトされて参加した人のうち、同じように厳しく当たられた人たちは次々に辞めていく。
私は5年くらい、借金などもしつつ頑張ったが、絵を描こうとすると物凄い負の感情(怒りとか悲しみとか)がわいてきて手がつけられなくなり、もう無理だと思ったので結婚を機に脱退することにした。

しばらくして、団体に参加していたときの知り合いから電話がかかってきた。
結婚して団体を抜けたことを伝えると、エーミールだかなんだか、昔の哲学者の家庭や子育てを批判するような格言を滔々と述べ、「残念だな、「普通の人」になっちゃったんだね」と言った。

彼は私を、夭折したミュージシャンたちや森田童子と重ねている節があったので(なぜだかはわからない)そんなふうなことを言ったのだろう。
(BGM:ぼくたちの失敗)

だめになった私は暫くの間絵が描けなかった。
描くのが好きだったときは「食事や呼吸をするのと同じこと」だったはずなのにだめだった。
「普通の人」になったので、創作することなどもう出来ないんだろうと思った。
夫には「ゴッホだって死んでから評価されたんだから、他人のことは気にしないで描きなよ」というような事をよく言われたが、そんなことを言われても描けないものは描けないのだ。

数年して少し生活が落ち着いて、ツイッターで「140字小説」というものを知り、アカウントを作って小説とともに時々絵というか落書きを載せていたところ、フォローしていた人に「独特の雰囲気のイラストで好きです。もっと描けばいいのにと期待しています」と言われた。
他の人には「描きたいという熱が消えていないなら描くべきだ」とも言われた。

なんとなくだけど「描いて欲しい」でなくて「描けばいいのにと期待している」「描くべきだ」だったのが良かったんだと思う。
夫はちょっとした絵でも「良いじゃないですか」とべた褒めしてくれた。
それらの言葉を杖にして、少しずつまた絵を描けるようになった。

未だに、他人と自分の作品が比べられるような状況だと(前ほどではないが)辛い気持ちになる。
売上が関わるような状況なんてもってのほかだ。

それでも、描くことができるようになって良かったと思う。
私にとって描くことは「食事や呼吸と同じ」なのだから。

北山ヌヌ


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