名前を呼ばれた気がした。
ぼんやりした意識の中の、立ち籠めた煙のような闇の向こう側に誰かがいる。
――冬雅、哀れな小さな蛾よ。おまえは火に焼かれている、おまえの父が負った呪いの火に
聞き覚えのある柔らかな低声が響いた。
「父さんの呪い?なんのことだ」
――夏至に生まれた火の目の子は恵みの子、けがしたものには呪いがくだる……わたしが属する民に伝わる、古い言い伝えだ
火照った額に同じくらい熱い手が触れる。脳裏に、あの炎のような琥珀色の目が蘇る。
――幼いころ、わたしは恵みの子だった。けれど、10歳になるかならないかのころ呪いの子になった……異国からきた旅人にかどわかされて、犯されたから
「そ、その旅人が……父さんだと……?」
閉じたままの視界に幻が流れてくる。琥珀色の虚ろな目で伏している美しい子どもと、それに覆いかぶさる裸の男の姿が。
何事か呟きながら荒い息を吐いている横顔は、確かに父だ。
おぞましさに冬雅は吐き気を覚えた。
――旅人が去ったあと、肉親はみな熱病で死んだ。祖母は「火の目のおまえを守れなかった報いだ」と死ぬ間際まで嘆いていた。親しかったあらゆる人は呪いを恐れてわたしに触れようともしなくなった……それからずっと、呪いを植え付けた元凶が、わたしと同じように見捨てられ、絶えていくさまを見届けたいと願い続けた……この地にきたのはそのためだ。おまえの母に近づいたのも
愕然としつつ、額から髪を撫でている手に触れる。
しかし、この手に触れたいと願う衝動も感情も、すべては父の忌まわしい過去の所業と呪いとやらのせいだったのだろうか、と思うと、このまま消えてしまっていいような気がした。
「おまえに焼かれていくなら、俺はそれでいい。それでおまえが救われるなら……俺も救われる気がする」
おずおずと触れた熱い手が、ゆっくりとこちらの手に重ねられ、痛いほどきつく握りしめられた。
「冬雅」
闇の向こうから響いていた声が不意に近くなる。
「いま目の前にいるのは俺だ、とおまえは言った」
思わず目を開けると、金色の目が間近だった。
「それでも、己の所業が全て父の呪いのゆえと思うか?……わたしはそう思わない、思いたくない」
「どうして?」
返事はなかったが、冬雅は間近に燃えている目の中に浮かんだ、切なげな色に答えを見いだした。火照った体にくすぐったいような感覚がわきあがる。
「だからこれから確かめてみよう。おまえの呪いにまつわるもの……わたしについての記憶を焼く。二度と相見えないなら、おまえの所業は全て呪いのゆえだ。また相見えるなら、それは呪いを超えたおまえ自身の意思だ」
「……わかった」
答えると同時に視界が暗くなった。
再び辺りを包んだ煙のような闇のなか、冬雅は祭壇らしきものの前にいた。祭壇の上には大きな香炉があり炎が揺らめいている。
祭壇を挟んで立つザリャは、うなじのあたりで束ねた髪をぶつりと断ち、赤い手帳と共に香炉にくべた。甘く焦げた臭いが立ち上る。
手を、と告げられ、おずおずと煙の上に差し伸べる。ザリャは何か唱えつつその手をとり手のひらに素早く短刀をすべらせた。
鋭い痛みが走り、血が香炉へぼたぼたと滴る。
激しく炎が燃え上がり、火の粉と煙が体中に降る。咳き込みながらうずくまるうち、体内の熱が引いていくのがわかった。
同時に、煙の向こうにいるザリャの姿が薄れ、ゆらぎ、消えていく。
「呪い」から解放される安堵感と、大きな存在がまたいなくなる喪失感に飲み込まれ、冬雅はひどく泣きながら気を失った。
ぼんやりした意識の中の、立ち籠めた煙のような闇の向こう側に誰かがいる。
――冬雅、哀れな小さな蛾よ。おまえは火に焼かれている、おまえの父が負った呪いの火に
聞き覚えのある柔らかな低声が響いた。
「父さんの呪い?なんのことだ」
――夏至に生まれた火の目の子は恵みの子、けがしたものには呪いがくだる……わたしが属する民に伝わる、古い言い伝えだ
火照った額に同じくらい熱い手が触れる。脳裏に、あの炎のような琥珀色の目が蘇る。
――幼いころ、わたしは恵みの子だった。けれど、10歳になるかならないかのころ呪いの子になった……異国からきた旅人にかどわかされて、犯されたから
「そ、その旅人が……父さんだと……?」
閉じたままの視界に幻が流れてくる。琥珀色の虚ろな目で伏している美しい子どもと、それに覆いかぶさる裸の男の姿が。
何事か呟きながら荒い息を吐いている横顔は、確かに父だ。
おぞましさに冬雅は吐き気を覚えた。
――旅人が去ったあと、肉親はみな熱病で死んだ。祖母は「火の目のおまえを守れなかった報いだ」と死ぬ間際まで嘆いていた。親しかったあらゆる人は呪いを恐れてわたしに触れようともしなくなった……それからずっと、呪いを植え付けた元凶が、わたしと同じように見捨てられ、絶えていくさまを見届けたいと願い続けた……この地にきたのはそのためだ。おまえの母に近づいたのも
愕然としつつ、額から髪を撫でている手に触れる。
しかし、この手に触れたいと願う衝動も感情も、すべては父の忌まわしい過去の所業と呪いとやらのせいだったのだろうか、と思うと、このまま消えてしまっていいような気がした。
「おまえに焼かれていくなら、俺はそれでいい。それでおまえが救われるなら……俺も救われる気がする」
おずおずと触れた熱い手が、ゆっくりとこちらの手に重ねられ、痛いほどきつく握りしめられた。
「冬雅」
闇の向こうから響いていた声が不意に近くなる。
「いま目の前にいるのは俺だ、とおまえは言った」
思わず目を開けると、金色の目が間近だった。
「それでも、己の所業が全て父の呪いのゆえと思うか?……わたしはそう思わない、思いたくない」
「どうして?」
返事はなかったが、冬雅は間近に燃えている目の中に浮かんだ、切なげな色に答えを見いだした。火照った体にくすぐったいような感覚がわきあがる。
「だからこれから確かめてみよう。おまえの呪いにまつわるもの……わたしについての記憶を焼く。二度と相見えないなら、おまえの所業は全て呪いのゆえだ。また相見えるなら、それは呪いを超えたおまえ自身の意思だ」
「……わかった」
答えると同時に視界が暗くなった。
再び辺りを包んだ煙のような闇のなか、冬雅は祭壇らしきものの前にいた。祭壇の上には大きな香炉があり炎が揺らめいている。
祭壇を挟んで立つザリャは、うなじのあたりで束ねた髪をぶつりと断ち、赤い手帳と共に香炉にくべた。甘く焦げた臭いが立ち上る。
手を、と告げられ、おずおずと煙の上に差し伸べる。ザリャは何か唱えつつその手をとり手のひらに素早く短刀をすべらせた。
鋭い痛みが走り、血が香炉へぼたぼたと滴る。
激しく炎が燃え上がり、火の粉と煙が体中に降る。咳き込みながらうずくまるうち、体内の熱が引いていくのがわかった。
同時に、煙の向こうにいるザリャの姿が薄れ、ゆらぎ、消えていく。
「呪い」から解放される安堵感と、大きな存在がまたいなくなる喪失感に飲み込まれ、冬雅はひどく泣きながら気を失った。