陽太はたそがれの海辺をゆっくり歩いていた。たそがれ、と言っても、辺りはまだ暗くなっていない。水平線の少し上で太陽は白く光っている。その光を受けて、波打つ海も仄白く輝いている。
陽太はその光景を見て瑞希の絵を思い出した。白い紙面と鉛筆の黒色だけで形作られた世界を。そして、そこに昨日マスターから託された絵の具の色彩が広がっていくところを想像した。
――真っ白な紙の上だともっとすごいって、マスターは言ってたけど……だとしたらどんな風になるんだろう。瑞希さんの絵……
いつも待ち合わせている浜辺へ降りていく階段が見えてきた。ちょうど、瑞希が降りてくるところだった。
陽太は思わず駆け出した。砂を蹴立てるように走ってくる陽太を見留て瑞希は足を留め、絵の具箱を掲げてみせた。
「瑞希さん!持ってきてくれたんだ!!」
「せっかくもらったからな。それに携帯用の道具も揃ってたから」
陽太は瑞希と並んで座り、足元に箱から道具が取り出されていくのを見つめた。古ぼけた絵の具、筆、パレット、小さな水筒と折りたたみ式の水入れ……一通り取り出したところで、瑞希はパレットを開き、いくつか絵の具を絞り出した。
食い入るようにそれを見ていた陽太は、あ、と小さく声をあげ、ズボンのポケットに丸めて差していたファイルを取り出した。
「瑞希さん、良かったらこれに色をつけて欲しいんです!」
最初にもらった、海と空と、鳥のスケッチだった。
「瑞希さんの絵、全部いいなって思うけど。これがいちばん好きだから」
瑞希は黙ったままスケッチを見つめ、ぼそりと言った。
「どこが好きなんだ?これの」
「うーん……やっぱり、走ってるときの感じに似てるからかな。この鳥が」
陽太は初めてこのスケッチを見たときに頭の中にひらめいた、水平線へ飛び去っていく鳥のイメージを思い出していた。
――ホントに飛んでくみたいに見えたっけ……
白金の日差しに照らされている、たゆたうようなその表情を見つめて瑞希ははにかみつつ微笑んだ。
「あのさ。その鳥、おまえなんだ」
眩しそうにこちらを見ている瑞希を陽太はまっすぐ見た。
目元を隠していた長い前髪が風にもちあげられる。乳白の肌が日に照らされ、大きな黒い目がひときわ深い色に見える。
この瞳に映った自分が、姿を変えて大好きな絵の中にいた、と思うと胸の内がくすぐったくなった。
「ここで走ってるところを見てから、ずっと良いなって思ってた。水平線にまっすぐ飛んでく渡り鳥みたいに……強くて、自由で……」
静かな波音と、吹き渡る風の音にまぎれそうな低く優しげな声を心地よく感じながら、陽太は瑞希の肩にもたれた。
「ねえ、瑞希さん。渡り鳥って、渡っていく先があるから、強くて自由に見えるんだと思うな」
「……たまには良いこというね」
瑞希は少し笑って柔らかな髪に顔を埋め、それから筆をとった。
鳥が横切る空の部分に水を佩く。濡れて光っている紙面を、深い青色の絵の具を含ませた筆先がはしると、鮮やかな青色が炎のように広がっていく。
陽太は小さく息を呑み、ため息のような声をもらした。瑞希も、予想以上の鮮やかな色に目眩むような感覚をおぼえた。
夢中で次の色を筆にとって乗せる。
モノクロで静止していた世界が、色彩を与えられて動き出す。そんな感じがした。
陽太はふと、魔法のようにはしる筆と息づいていく世界から目をあげた。
2人の重なった淡い影が、長く海へ伸びていこうとしている。その先で海が、絶え間なく揺らめきながら日の光と溶け合って輝いていた。
陽太はその光景を見て瑞希の絵を思い出した。白い紙面と鉛筆の黒色だけで形作られた世界を。そして、そこに昨日マスターから託された絵の具の色彩が広がっていくところを想像した。
――真っ白な紙の上だともっとすごいって、マスターは言ってたけど……だとしたらどんな風になるんだろう。瑞希さんの絵……
いつも待ち合わせている浜辺へ降りていく階段が見えてきた。ちょうど、瑞希が降りてくるところだった。
陽太は思わず駆け出した。砂を蹴立てるように走ってくる陽太を見留て瑞希は足を留め、絵の具箱を掲げてみせた。
「瑞希さん!持ってきてくれたんだ!!」
「せっかくもらったからな。それに携帯用の道具も揃ってたから」
陽太は瑞希と並んで座り、足元に箱から道具が取り出されていくのを見つめた。古ぼけた絵の具、筆、パレット、小さな水筒と折りたたみ式の水入れ……一通り取り出したところで、瑞希はパレットを開き、いくつか絵の具を絞り出した。
食い入るようにそれを見ていた陽太は、あ、と小さく声をあげ、ズボンのポケットに丸めて差していたファイルを取り出した。
「瑞希さん、良かったらこれに色をつけて欲しいんです!」
最初にもらった、海と空と、鳥のスケッチだった。
「瑞希さんの絵、全部いいなって思うけど。これがいちばん好きだから」
瑞希は黙ったままスケッチを見つめ、ぼそりと言った。
「どこが好きなんだ?これの」
「うーん……やっぱり、走ってるときの感じに似てるからかな。この鳥が」
陽太は初めてこのスケッチを見たときに頭の中にひらめいた、水平線へ飛び去っていく鳥のイメージを思い出していた。
――ホントに飛んでくみたいに見えたっけ……
白金の日差しに照らされている、たゆたうようなその表情を見つめて瑞希ははにかみつつ微笑んだ。
「あのさ。その鳥、おまえなんだ」
眩しそうにこちらを見ている瑞希を陽太はまっすぐ見た。
目元を隠していた長い前髪が風にもちあげられる。乳白の肌が日に照らされ、大きな黒い目がひときわ深い色に見える。
この瞳に映った自分が、姿を変えて大好きな絵の中にいた、と思うと胸の内がくすぐったくなった。
「ここで走ってるところを見てから、ずっと良いなって思ってた。水平線にまっすぐ飛んでく渡り鳥みたいに……強くて、自由で……」
静かな波音と、吹き渡る風の音にまぎれそうな低く優しげな声を心地よく感じながら、陽太は瑞希の肩にもたれた。
「ねえ、瑞希さん。渡り鳥って、渡っていく先があるから、強くて自由に見えるんだと思うな」
「……たまには良いこというね」
瑞希は少し笑って柔らかな髪に顔を埋め、それから筆をとった。
鳥が横切る空の部分に水を佩く。濡れて光っている紙面を、深い青色の絵の具を含ませた筆先がはしると、鮮やかな青色が炎のように広がっていく。
陽太は小さく息を呑み、ため息のような声をもらした。瑞希も、予想以上の鮮やかな色に目眩むような感覚をおぼえた。
夢中で次の色を筆にとって乗せる。
モノクロで静止していた世界が、色彩を与えられて動き出す。そんな感じがした。
陽太はふと、魔法のようにはしる筆と息づいていく世界から目をあげた。
2人の重なった淡い影が、長く海へ伸びていこうとしている。その先で海が、絶え間なく揺らめきながら日の光と溶け合って輝いていた。